あんなに並んだのに…90〜00年代の人気裏原ブランドは今どうなった? 倒産・消滅・身売り、その後を調べてみた

90年代後半から2000年代前半。

原宿の表通りから一本入った細い路地に、小さな洋服屋が次々と現れた。

GOODENOUGH、A BATHING APE、UNDERCOVER、HECTIC、NEIGHBORHOOD、WTAPS……。

新作発売日には朝から人が並び、店に入っても目当ての商品はすでにない。雑誌に載ったアイテムならなおさらで、「金を出せば普通に買える」という今では当たり前の買い物が、まったく当たり前ではなかった時代だった。

そしてもうひとつ、当時を知る人がよく語るのが店員の怖さ。

無愛想、常連とずっと喋っている、客をほとんど相手にしない。店によっては「服を買いに行く」というより、ちょっとした度胸試しのような空気すらあった。

服を買うだけなのに、なぜ客のこっちが緊張してたんだろう。

ところが、それから約20~30年。

あれだけ人気だったブランドの中には、倒産した会社、ブランド自体が消えたところ、大企業へ売却されたところ、創業者が去ったところがかなりある。

一方で、当時とほとんど変わらないスタンスのまま生き残ったブランドや、世界的ブランドへ巨大化したところもある。

今回は「裏原宿」ど真ん中のブランドだけでなく、当時同じ雑誌や同じ客層の中で支持されていたSupreme、STÜSSY、XLARGE、さらに裏原ブーム以前から原宿に存在したgoro’sなども含めて、2026年現在どうなっているのかを追ってみた。

この記事では、🔴=終了・倒産、🟠=一度終了・破綻などを経験して復活、🟡=現役だが売却・創業者離脱・大きな資本変更あり、🟢=現在も継続、という目安で分類しています。厳密な「裏原ブランド」だけでなく、90~00年代の原宿ストリート文化と強く結びついたブランドを含みます。

目次

そもそも「裏原宿」ってどんな場所だった?

「裏原宿」と呼ばれるのは、表参道や明治通りから少し入った神宮前周辺の裏路地。

1990年代になると、この一帯に小規模な独立系ブランドやセレクトショップが集まり始める。

2012年に発表された裏原宿のアパレル小売店集積を研究した論文では、友人・知人の人脈を通した出店が集積のきっかけになったことなどが指摘されている。

巨大企業が計画的に作ったファッション街ではなく、友達の店の近くにまた友達が店を出すような形で、小さなコミュニティーが街になっていったのが裏原宿だった。

1993年にはNIGOと高橋盾が「NOWHERE」をオープン。周辺にはGOODENOUGH、A BATHING APE、UNDERCOVER、BOUNTY HUNTER、NEIGHBORHOODなど、後に巨大な影響力を持つブランドやショップが集まっていく。

そこへ『smart』『Boon』『Asayan』『street Jack』などの雑誌文化が重なり、「原宿まで行かなければ買えない」「発売日を知らなければ買えない」「店に行っても売り切れている」という希少性まで含めて価値になっていった。

洋服だけではなく、店・店員・並び・人間関係・街そのものまで含めたカルチャーだったわけだ。

「客なのに店員が怖い」も裏原の一部だった

当時を知らない世代には信じにくいかもしれないが、「裏原の店員は怖かった」という話は、単なる後世の大げさな昔話とも言い切れない。

裏原宿の空間を分析した社会学研究には、店員が積極的に接客せず、経営戦略としてカウンターの裏に控えている場合すらあったとの記述がある。

つまり「いらっしゃいませ!何かお探しですか?」と寄ってくる現在のアパレル接客とは、そもそもの思想が違った。

FASHIONSNAPによる当時の関係者インタビューでも、行列ができた頃のNOWHEREについて、店のキャパを超える客が押し寄せ、商品そのものが残っていなかったことが振り返られている。

藤原ヒロシは、もともとは友達やその友達を相手にしているような店だったところへ、ブームによって突然それ以外の客が大量に来るようになり、どう対応していいのか分からず「そっけなく見えたのかもしれない」と説明している。

これを現在の大型アパレルショップと同じ基準だけで見るのも、少し違うのかもしれない……。

と、前置きというか、おためごかしというか。一般論はここまでにして、実際に当時の裏原の店を訪れていた私の感想を言わせてもらうなら――

ひどい店は本当にひどかった。

客そっちのけで、遊びに来た友達としゃべってバカ笑い。酷い店になると、店員なのか遊びに来た友達なのかは知らないけれど、店の前で談笑しながらスケボーで遊んでいる姿を目にしたことまである。

もしもマカロニえんぴつのはっとりさんがあの光景を目にしていたならば、「恋人ごっこ」ではなく「店員ごっこ」という楽曲が出来上がっていたかもしれない。



入りづらいこと自体が「格好よさ」だった

さらに面白いのが、BOUNTY HUNTERのHIKARU。

2025年のWWDJAPANの30周年インタビューで、当時の店が若者には入りづらかったという話になると、本人は「でもそれがいいでしょ(笑)」と答えている。

自分たちも若い頃、入りづらいパンクショップに憧れていたという。

今なら「新規客を逃している」と改善対象になりそうな部分が、当時は逆に「ここに普通の店とは違う人たちが集まっている」という格好よさにもなっていた。

HECTICのYOPPIは「開店時間にも遅刻していた」と回想

もっと強烈なのがHECTIC。

創業者のひとりでプロスケーターでもある江川芳文、通称YOPPIは、後年のインタビューで、HECTIC時代に自身も店頭に立っていたものの、時間にルーズで店のオープン時間にも遅刻することが多かったと話している。

HECTIC終了後にSupremeで働いた際には「2回遅刻したらクビ」と言われ、普通の組織で働けるか自分自身の社会性を試す意味もあったという。

「店員が自由すぎた」は、どうやら完全な都市伝説でもなさそう。


「店内でスケボーしていた」という話は?

裏原の昔話では「店員が店内でスケボーしていた」といった逸話まで語られる。

これは先程も言ったけれどもい私が実際にその光景を見た事があるので「私の中では紛れもない事実」である。

ただ「証拠を出せ!」とか「正しい根拠を言え!」とか言われると面倒臭いので具体的な店舗名は言えない。

言わないじゃなく言えない。

一方、HECTIC自体がプロスケーターのYOPPIと真柄尚武によって始められたショップで、スケートカルチャーと店舗スタッフの距離が非常に近かったことはブランド史からも確認できる。

現在の「販売員」というより、スケーターやDJ、デザイナーやその友人が、そのまま店番もしているくらいの感覚に近かった店も多かったのだろう。

当時の接客については店舗・スタッフによる差が大きく、「裏原の店員は全員態度が悪かった」という話ではありません。ここでは当時の関係者インタビュー、研究資料、利用者の回想などから見える独特なショップ文化として紹介しています。

そして現在…あのブランドはどうなった?

ここからが本題。

90~00年代に裏原・原宿ストリートで存在感を放っていたブランドを、2026年現在まで追ってみるとこうなる。

ブランド現在その後
GOODENOUGH🔴 終了1990年頃スタート。1998年の活動休止と再開を経て、2017年にブランド終了。
HECTIC🔴 終了2008年に一部事業をワールドへ譲渡。2012年にブランド終了。
DOARAT🔴 終了2014年に実店舗を閉鎖。Web中心へ移行した後、2016年頃に活動終了。
MACKDADDY🔴 破産2003年には年商約12億円まで成長したが、2019年に破産。負債約4億円。
HEAD PORTER🔴 終了→後継2019年春夏で終了。同年、後継ブランドRAMIDUSがスタート。
SWAGGER🟠 倒産→復活2007年には年商約13.7億円。2013年に自己破産準備、負債約5.47億円。2019年に再始動し、2026年現在も展開中。
REVOLVER🟠 倒産→再始動2008年に倒産、2014年活動休止。2020年にKIRIを中心として再始動。
DEVILOCK🟠 解散→復活2011年解散。2018年に完全復活し、2026年には30周年ワールドツアーを展開。
NUMBER (N)INE🟠 創業者離脱→復帰宮下貴裕が2009年に離脱。2026年、約15年ぶりに本人がNUMBER (N)INEへ復帰。
A BATHING APE / BAPE🟡 売却→世界展開2011年、NIGO保有株90.27%を香港I.Tが取得。現在も世界規模で展開し、2026年秋冬コレクションも発表。
Supreme🟡 巨大化・売却日本の裏原ブランドではないが当時の原宿ストリートを象徴する存在。2024年、EssilorLuxotticaが15億ドルで買収。
UNDERCOVER🟡 現役・資本変更へ世界的ブランドへ成長。2026年9月、HUMAN MADEが株式取得契約を締結し、子会社化へ。
NEIGHBORHOOD🟢 現役2026年も春夏コレクションを展開。原宿・渋谷など店舗も継続。
WTAPS🟢 現役2026年9月から秋冬コレクションを展開。現在も強い存在感を維持。
SOPHNET.🟢 現役2026-27秋冬コレクションまで継続。都市型ウェアとして独自路線を維持。
BOUNTY HUNTER🟢 現役2025年に30周年。2026年現在も商品展開・ブログ更新を継続。
ROTAR🟢 現役2000年スタート。スケート、バイク文化を軸に25年以上継続。
XLARGE🟢 現役1991年LA発。2026年に35周年を迎え、日本でも多数の店舗・コラボを展開。
X-girl🟢 現役2026年秋コレクションを展開。原宿を含め全国に店舗を持つ。
SILAS🟢 現役90年代後半に支持された英国発ブランド。2026年も春夏秋冬の商品を展開。
FAT🟢 現役神宮前のFAT HEAD SHOPをはじめ、札幌・大阪にも店舗。2026年秋冬も展開。
STÜSSY🟢 現役裏原ブランドではないが当時裏原系ファッションの方にも大人気だったアメリカ発のスケーターブランド。2026年秋コレクションも世界同時展開。ちなみに当時原宿駅近くにあったテント村みたいな場所ではステューシーの偽物が普通に売られてた。
goro’s🟢 現役・例外的存在裏原ブームよりはるか前の1970年代から原宿で営業。現在も原宿1店舗・対面販売のみ。ここの接客はSUPREMEよりも上かもね。

こうして並べると、全部が消えたわけではない。

むしろNEIGHBORHOOD、WTAPS、SOPHNET.、BOUNTY HUNTERなどは驚くほどしぶとい。

ただし、上の23ブランドのうち、ブランド終了、会社倒産、一度解散、創業者離脱、買収・売却などの大きな断絶を経験したものは半数を超える。

90年代末に「あのブランドがなくなる」と想像できた人は、かなり少なかったはずだ。

特に落差がすごい「消えたブランド」

GOODENOUGH|裏原の原点そのものが2017年に終了

まず衝撃的なのがGOODENOUGH。

藤原ヒロシ、SKATE THINGらによって1990年頃に始まり、日本のストリートブランドの原点のひとつともいえる存在だった。

1998年に突然活動を休止し、翌年再開。その後も長く続いたが、2017年にブランドとしての活動を終了している。

現在では完全にアーカイブとして語られる存在になったが、その影響力は消えていない。

HECTIC|ワールド傘下を経てブランド終了

スケート、ヒップホップ、スニーカー好きには欠かせなかったHECTICも消えた。

1994年に原宿でスタートし、realmad HECTICやHECTIC BASICなどを展開。特にNew Balanceとのコラボなどで記憶している人も多いはず。

2008年にはワールドが商標を含む一部事業を譲受。しかし最終的に2012年にHECTICブランドは終了した。

全盛期の自由すぎる雰囲気を知ると、巨大アパレル企業の傘下へ入り、その数年後にブランドそのものがなくなった流れには何とも言えないものがある。

MACKDADDY|年商12億円から破産へ

数字で見ると特に激しいのがMACKDADDY。

帝国データバンクの倒産情報によると、2003年5月期には直営3店舗を展開し、年商約12億円を計上していた。

ところが2012年には約2億2000万円まで縮小。

店舗閉鎖やネット通販への注力でも回復せず、2019年に破産手続き開始。負債は約4億円だった。

「昔人気だった気がする」ではなく、実際に10億円以上売っていた会社がそこまで縮んだと考えると、ストリートブーム終焉の大きさが分かる。

HEAD PORTER|消えたがRAMIDUSへ転生

藤原ヒロシがプロデュースに関わり、吉田カバンのバッグを独自展開していたHEAD PORTERも2019年春夏で終了。

ただし、こちらは完全消滅というよりブランドの新陳代謝に近い。

同年10月には後継ブランドRAMIDUSが原宿で始動している。

名前は消えたが、人と思想は次へ移ったケース。

倒産しても戻ってきたブランドもある

SWAGGER|負債5億4700万円から復活

裏原の栄枯盛衰を象徴するブランドのひとつがSWAGGER。

帝国データバンクによれば、2007年8月期の年商は約13億7200万円。

しかし消費不振などで売上が低下し、2013年には自己破産申請の準備へ。負債は約5億4700万円だった。

普通ならここで「懐かしの消滅ブランド」になりそうなところだが、2019年に再始動。

2026年現在もSWAGGER公式サイトで新作が販売されている。

会社は一度倒れても、ブランド名そのものには再び商売を成立させられるだけの価値が残っていたことになる。

DEVILOCK|解散から7年後に復活、2026年は30周年

DEVILOCKも一度終わったブランド。

1996年に恵比寿でスタートし、ファッションだけでなく音楽、格闘技、TOYまで横断して人気を拡大。

2011年に解散したものの、2018年に復活した。

そして2026年は30周年ワールドツアーを実施。NUMBER (N)INEや格闘技関連とのコラボも続いている。

こちらは「昔の名前を一度だけ復刻した」というレベルではなく、再びブランドとして動いている。

BAPEは「消滅」どころか世界ブランドになったが、NIGOの会社ではなくなった

A BATHING APE、通称BAPEはかなり特殊。

裏原ブームの象徴であり、その後は日本を飛び出して世界規模のブランドになった。

ただし経営面では大きな転換を経験している。

2011年、香港のI.T社がNIGOの保有していたノーウェア株式90.27%を2億3000万円で取得

NIGOはその後BAPEを離れ、現在はHUMAN MADEを率いている。

一方のBAPEも消えるどころか世界展開を継続。2026年秋冬コレクションも普通に発表されている。

つまりBAPEは、創業者の手を離れることでむしろ巨大なグローバルブランドへ変わった例でもある。

そして2026年、HUMAN MADEがUNDERCOVERを子会社化へ

ここでもうひとつ、裏原を知る人にはかなり面白い出来事が起きている。

2026年9月11日、NIGO率いるHUMAN MADEが、UNDERCOVERを展開する株式会社アンダーカバーの株式取得に向けた株式譲渡契約締結を発表した。

取得実行は2027年2月予定。

1993年にNIGOと高橋盾が一緒にNOWHEREを始めたところから30年以上。

かつて同じ小さな原宿の店から始まった2人の系譜が、今度は「HUMAN MADEがUNDERCOVERを子会社化する」という形で再び交差した

裏原の「その後」を象徴する出来事として、これはかなり感慨深い。

Supremeも今や「小さなスケートショップ」ではない

Supremeは1994年ニューヨーク創業なので、日本の裏原ブランドではない。

それでも90年代後半~00年代の原宿ストリートを語るなら、外す方が不自然な存在だろう。

こちらは消えるどころか巨大化した。

企業としての所有者は何度か変わり、2024年には世界最大級のアイウェア企業EssilorLuxotticaがVF Corporationから15億ドルでSupremeを買収した。

もともとはスケーターが集まる小さなニューヨークのショップ。

そこから30年で、Ray-BanやOakleyを抱える巨大企業のブランドポートフォリオに入った。

成功したと言えば大成功だが、90年代に知っていたSupremeとは、会社としては別次元の存在になっている。

地味にすごいのは「普通に生き残った」ブランド

倒産や身売りの方が目立つが、本当にすごいのはむしろこちらかもしれない。

NEIGHBORHOODWTAPSSOPHNET.は、2026年現在も新しいシーズンのコレクションを普通に出し続けている。

BOUNTY HUNTERも2025年に30周年を迎え、そのまま2026年まで活動中。

2000年スタートのROTARも、爆発的な巨大ブランドにはならなかった一方、スケートやモーターサイクルを軸に25年以上続いている。

そして海外勢ではXLARGEが2026年で35周年。STÜSSYも2026年秋コレクションを世界展開。

SILASFATX-girlも現役だ。

全盛期に街を埋め尽くすほど流行したブランドが消え、そこまで巨大化しなかったブランドが淡々と続いているケースもある。

「一番売れたブランドが、一番長く残る」とは限らなかったのが面白いところ。

そして異常に強いのがgoro’s

最後に、裏原ブランドではないものの原宿という場所を語るなら外しにくいのがgoro’s。

そもそもgoro’sは裏原ブームよりはるか前から存在する。

そして2026年現在も、原宿・神宮前の1店舗のみ

支店なし。卸売りなし。正規ネット通販なし。

店内が狭いため一人ずつ案内され、混雑時には整理番号の抽選まである。購入履歴・来店記録も管理され、何が買えるかはその日の在庫次第。

一般的な小売業の常識から考えれば、とんでもなく不便だ。

ところが50年以上それを続けても、国内外から客がやって来る。

一番「売ってもらう店」っぽいのに、一番長生きしてるの何なんだ。

裏原ブームのブランドが店舗拡大、全国展開、通販、大企業傘下などへ向かう中、goro’sはその逆。

増やさない、便利にしない、誰にでも簡単に売らない。

他のブランドが同じことをやれば成立するとは到底思えないが、「希少性を守る」という意味では、裏原ブームが途中で失ったものを今も極端な形で維持している店ともいえる。

なぜ、あれだけ人気だったブランドが次々と消えたのか

ここを単純に「店員の態度が悪かったから潰れた」で片づけるのは違う。

むしろ全盛期には、その閉鎖的な雰囲気すらブランド価値の一部として成立していた。

問題は、同じ仕組みが永遠には続かなかったこと。

  • 少量生産だからこそ成立していた希少性
  • 雑誌で情報を得て原宿まで買いに行くという行動
  • 店員・デザイナー・客が近い小さなコミュニティー
  • そのブランドを知っていること自体がステータスになる状況

こうした条件は、ブランドが全国区になればなるほど崩れていく。

売れれば取扱店も商品量も増える。しかし増やせば「ここでしか買えない」という価値は薄くなる。

さらにインターネット通販が一般化し、ファッション情報の中心も紙の雑誌からWeb・SNSへ移った。

そしてブーム自体が終われば、巨大化した会社には店舗、人員、在庫、仕入れといった固定費が残る。

実際にMACKDADDYは約12億円あった年商が約2億2000万円まで低下し、SWAGGERも売上低下と資金繰り悪化の末に倒産している。

裏原は「売れなくなったから終わった」だけではない。少数だけが知る小さな文化として成功したものが、巨大な流行になったことで、自分たちを成立させていた希少性まで失っていった面がある。

それでも、あの「入りづらい店」は面白かった

今の感覚なら、店員が客を放置する、常連ばかり相手にする、発売日も在庫も分かりにくい店なんて、口コミで一瞬にして低評価が並びそうだ。

ECサイトなら在庫数が表示され、発売時間になればスマホから買える。接客マニュアルも整備され、新規客と常連客で露骨に扱いを変える店も少なくなった。

もちろん買い物としては今の方が圧倒的に楽。

ただ、90年代の裏原には「あの路地まで行って、あのドアを開けないと何があるか分からない」という体験があった。

怖い店員も、狭い店も、何も売っていない棚も、長い行列も、今になれば全部ひっくるめて「あの時代の原宿」だったのかもしれない。

そして皮肉なのは、当時あれほど「絶対になくならなそう」に見えたブランドが消え、地道に続けていたブランドや、裏原以前から同じ売り方をしていたgoro’sが今も残っていること。

ブームを作ることと、30年続けることは、まったく別の才能だった。

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