90年代ギャルブームはいつ始まり、なぜ終わった?コギャル・アムラー・ガングロまで歴史を追ってみた

ルーズソックス、茶髪、細眉、厚底ブーツ、ポケベル、公衆電話、プリクラ。

「90年代の女子高生」と聞いて、こんな光景を思い浮かべる人は多いはず。

そして、その中心にいたのが「コギャル」「ギャル」と呼ばれた女の子たちだった。

ただ、1990年になった瞬間、突然渋谷にルーズソックスのギャルが大量発生したわけではない。

80年代末の渋カジから始まり、女子高生文化、安室奈美恵、SHIBUYA109、ポケベル、プリクラ、そして『egg』。いくつもの流行が重なった結果、1990年代半ばに巨大なムーブメントへ成長していった。

しかも、その数年後にはガングロ、ヤマンバという、今見てもかなり強烈な方向へ進化している。

普通の女子高生ファッションからヤマンバまで、10年もかかってないのすごい。

そして2000年代に入ると、もうひとつ興味深い変化が起こる。

ギャル自体が消えたわけではないのに、テレビや雑誌が「今どきの若者文化」として追いかける場所が、次第に渋谷から秋葉原へ移っていったのだ。

では90年代ギャルブームはいつ始まり、どこでピークを迎え、なぜ「終わった」ように見えるようになったのか。

渋谷のギャルが若者文化の象徴だった時代から、『電車男』前後のアキバ系ブームまで順番に追ってみた。

目次

まずは90年代ギャルブームの流れをざっくり整理

年代主な出来事・流行
1980年代後半渋谷で「渋カジ」が流行。高校生がストリートから流行を生み出す土壌ができる
1992~1994年頃女子高生文化が注目され、「コギャル」と呼ばれる層が目立ち始める
1995年『egg』創刊。プリント倶楽部登場。SHIBUYA109が女子高生を強く意識した売り場へ転換
1995~1996年頃安室奈美恵ブーム。「アムラー」が社会現象になる
1996~1997年頃ルーズソックス、ポケベル、プリクラ、厚底靴などが女子高生文化の定番に
1997~1998年頃SHIBUYA109がギャル文化の中心地に。カリスマ店員も注目される
1998~2000年頃ガングロ、金髪、厚底、派手なメイクが拡大
1999~2000年頃ヤマンバ、パラパラなど、さらに過激なスタイルへ
2000~2001年頃90年代型のガングロブームが急速に収束
2000年代お姉ギャル、姫ギャル、age嬢などへギャル文化が細分化
2004~2005年頃『電車男』ブーム。秋葉原・アキバ系・メイド喫茶などが一般メディアでも急速に注目される
2008~2009年SHIBUYA109は最高益、過去最大入館者数を記録。ギャル市場はまだ強かった
2014年『egg』休刊。巨大なギャル市場にもひとつの区切り

こうして並べてみると、少し意外なことが分かる。

ガングロやヤマンバが街を席巻した期間はかなり短い一方、ギャル文化やギャル市場そのものは2000年代に入っても続いていた。

つまり「ガングロが消えた=ギャルブームが全部終わった」ではない。

1980年代後半~1992年|ギャルの前に「渋カジ」があった

90年代ギャルのルーツをたどると、その少し前に流行した「渋カジ」に行き着く。

渋カジとは「渋谷カジュアル」の略。1980年代後半、渋谷周辺の高校生や大学生を中心に広がったアメリカンカジュアル系のファッションだった。

ここで重要なのは服装そのものだけではない。

街にいる普通の若者たちの着こなしが雑誌などに取り上げられ、そこから新しい流行が生まれていく。

「若者自身が街から流行を作る」という構図が、この頃からはっきり見えるようになった。

90年代に入ると、その中心で特に目立つ存在になっていったのが女子高校生だった。

1992~1994年頃|「コギャル」と呼ばれる女子高生が目立ち始める

1990年代前半になると、渋谷では女子高生そのものがひとつのカルチャーとして注目されるようになった。

この頃から広まっていくのが「コギャル」という言葉。

語源には諸説あるが、90年代半ばには、茶髪や短いスカートなど独自のファッションを楽しむ若い女性、とりわけ女子中高生を連想させる言葉として広く使われるようになっていく。

ただし、この頃のコギャルを後のガングロと一緒にするとかなり違う。

制服のスカートを短くしたり、髪を明るくしたり、靴下をルーズに履いたり。後期ギャルと比べればメイクもまだ控えめだった。

「90年代ギャル=ガングロ」の印象も強いが、ガングロが本格的に目立つのは90年代後半。ギャルブームはその前から始まっている。

1995~1996年|安室奈美恵と「アムラー」でギャルが全国区へ

90年代ギャル文化を語るうえで外せない存在が安室奈美恵

1995年頃から安室奈美恵が大ブレイクすると、そのファッションを真似する若い女性が急増した。

茶色のロングヘア、細い眉、小麦色の肌、ミニスカート、厚底ブーツ。

彼女たちは「アムラー」と呼ばれ、1996年には「アムラー」という言葉自体が流行語になるほどの社会現象となった。

ここでギャル的なファッションは、渋谷周辺だけでなく全国の女の子が真似するスタイルへ広がっていく。

90年代ギャルブームが全国規模の現象になった大きな転換点は、この1995~1996年頃と考えると分かりやすい。

同じ頃|ポケベル・公衆電話・プリクラが女子高生文化を変えた

ファッションだけではない。

90年代半ばは、女子高生同士のコミュニケーションそのものが急激に変わった時代でもある。

その象徴のひとつがポケベル

高校生が携帯電話を当たり前に持つ前、公衆電話から番号を入力してポケベルへ連絡する光景が街のあちこちにあった。

駅前の公衆電話に女子高生が並んでいる――。

スマホ世代から見るとかなり不思議だが、90年代を象徴する日常風景のひとつだった。

1995年には「プリクラ」も登場

さらに1995年7月には、セガとアトラスによる初代「プリント倶楽部」が登場。

後に「プリクラ」の愛称で呼ばれ、女子高生を中心に爆発的に広がっていった。

友達と撮影したシールを交換し、それを手帳や「プリ帳」に貼る。

プリクラは単なる記念写真ではなく、誰と仲がいいのか、どんな友達がいるのかまで含めたコミュニケーションツールになっていった。

1997年6月末には初代プリクラの累計出荷台数が約2万2000台に達している。

SNSがない時代なのに流行が異常に速かった

今振り返ると面白いのが、当時はXもInstagramもTikTokも存在していなかったこと。

それでも渋谷で生まれたファッションや言葉は、かなりの速度で全国へ広がっていった。

テレビ、ファッション誌、音楽番組、プリクラ、友達同士の口コミ。そして何より渋谷という街そのもの。

現在のSNSに近い流行発信の役割を、雑誌とテレビと「街」がまとめて担っていた。

1995~1998年|SHIBUYA109と『egg』がギャル文化の中心になる

ギャル文化の中心地となったのが渋谷。

そして、その象徴的な存在がSHIBUYA109だった。

SHIBUYA109は1995年から女子高生にターゲットを絞り、約6年をかけてフロアを順次改装していった。

人気ショップの店員が「カリスマ店員」と呼ばれ、芸能人でもない普通の販売員が女子高生の憧れになる現象まで起こる。

さらに1995年にはギャル雑誌『egg』が創刊。

街にいるギャルが誌面に登場し、それを見た別の女の子が真似をする。そして、その子たちが今度は新しい流行を作る。

ギャル自身が「流行を見る側」だけではなく、「流行を作る側」になった。

1998~2000年|ガングロ登場。ギャル文化は一気に過激化

そして90年代ギャル文化は、ここからかなり強烈な方向へ向かう。

1998年頃から目立ち始めたのが「ガングロ」

強く日焼けした肌に明るい髪、厚底靴、派手なアイメイク。

アムラー時代にも小麦色の肌は人気だったが、それをさらに極端に押し進めたようなスタイルだった。

1998~2000年頃には渋谷センター街などでガングロが話題となり、その姿はテレビや雑誌でも頻繁に取り上げられるようになる。

この頃のテレビ、渋谷へ行けばとりあえずギャルに話を聞いてた印象ある。

そして「ヤマンバ」まで登場する

さらに1999年頃には、ガングロをもっと極端にしたような「ヤマンバ」と呼ばれるスタイルも登場。

極端に黒くした肌、白く塗った目元や唇、金髪や白っぽい髪。そこへパラパラブームも重なった。

90年代初頭のコギャルと比べると、同じ「ギャル」という言葉で括るのが不思議なくらい姿が変わっている。

2000~2001年頃|ガングロはあっという間に街から減っていった

ところが、ガングロブームそのものは長く続かなかった。

渋谷で特に目立ったのは1998~2000年頃。

2000年頃から黒肌ブームは勢いを失い、2001年春には渋谷の街からガングロが急速に減っていったと当時の記録にも残っている。

恐らくこれは当時カリスマ的人気を誇った歌手の浜崎あゆみさんが白ギャルだったからと言うのも多いに影響しているのだろう。

わずか数年間で登場し、社会現象になり、そして目立たなくなった。

ただし、ここを「ギャルブームの終わり」としてしまうのは少し早計だと思う。

2000~2001年頃に終わったのは、90年代後半に爆発したガングロ・ヤマンバを中心とする「90年代型のギャルブーム」。ギャル文化そのものは終わっていない。

2000年代|ギャルは消えず「お姉ギャル」「姫ギャル」などへ分かれていく

2000年代に入ると、ギャル文化は一枚岩ではなくなる。

黒肌を引き継ぐギャル、肌を白くしたギャル、大人っぽい「お姉ギャル」、華やかな「姫ギャル」、キャバクラ文化とも結び付いた「age嬢」など、さまざまなスタイルへ細分化していった。

90年代後半のように「みんな同じ巨大ブーム」に見えなくなっただけで、ギャル文化は2000年代にもかなり強かった。

実はSHIBUYA109は2008年に最高益

これは数字を見るともっと分かりやすい。

SHIBUYA109はガングロブームが終わった後も成長を続け、2008年には最高益となる280億円を記録。

さらに2009年には年間入館者数が過去最大の約900万人に達している。

つまり2000年代半ばになっても、渋谷の女性向けファッション市場が消えていたわけではまったくない。

それなのに、90年代と2000年代のテレビを見比べると「若者文化の主役が変わった」ような印象がある。

その理由のひとつが、マスコミが次に見つけた街だった。

2004~2006年頃|マスコミの視線は「渋谷のギャル」から「秋葉原のオタク」へ

2000年代半ばになると、テレビで頻繁に見かける若者文化の風景が明らかに変わっていく。

90年代なら渋谷。

ルーズソックス、コギャル、ガングロ、109、パラパラ。

ところが2000年代半ばになると、テレビカメラが頻繁に向かう先として秋葉原が急浮上する。

アニメ、ゲーム、フィギュア、メイド喫茶、萌え、そして「アキバ系」と呼ばれる人たち。

もちろん秋葉原のオタク文化自体は突然2004年に生まれたわけではない。

1990年代後半から、電化製品に代わってアニメやゲーム、フィギュアなどを扱う店が増え、すでに街の性格は変わり始めていた。

大きな転換点になった『電車男』

それを一般層まで一気に広げた象徴のひとつが『電車男』だった。

インターネット掲示板で話題になった物語が2004年に書籍化され大ヒット。

2005年には映画化、さらにテレビドラマ化され、ドラマ版も高視聴率を記録する社会現象となった。

作品には「アキバ系」「オタク」という要素が強く組み込まれ、それまで一部の人にしか馴染みのなかった秋葉原の文化が全国のお茶の間まで入っていく。

同じ頃にはメイド喫茶もテレビで盛んに取り上げられ、「萌え」という言葉まで一般に知られるようになった。

テレビがやっていたことは、実は90年代とよく似ている

ここで90年代のギャルブームと並べると、かなり面白い。

90年代のテレビは渋谷へ行き、「今の女子高生はこんな格好をしている」「こんな言葉を使っている」とギャルに話を聞いた。

2000年代半ばになると秋葉原へ行き、「オタクは何を買っているのか」「萌えとは何なのか」「メイド喫茶とはどんな場所なのか」と取材する。

対象は正反対に見えるが、構図はかなり似ている。

街へ行き、そこで目立つ若者を捕まえ、「いま若者の間ではこんな文化が流行っています」と紹介する。

渋谷でギャルに声をかけてたカメラが、そのまま秋葉原へ移動した感じ。

「若者文化の主役」が交代したというより、マスコミが追う主役が変わった

ここは少し分けて考えた方がよさそうだ。

2005年頃にギャルがいなくなったわけではない。

むしろ前述の通り、SHIBUYA109はその後2008年に最高益を記録している。

だから「ギャルの次にオタクが流行った」と単純につなげるのは少し違う。

変わったのは、テレビや雑誌が「新しくて珍しい若者文化」として追いかける対象だった。

90年代には渋谷のギャルがその役割を担い、2000年代半ばには秋葉原のオタク文化がそこへ入ってきた。

言い換えれば、若者文化を代表する街としてメディアに映る場所が、「渋谷」だけではなく「秋葉原」にも移っていった時代だった。

では「90年代ギャルブームの終焉」はいつだったのか?

ここまで追ってみると、「ギャルブームは何年に終わった」と1年だけ決めるのは難しい。

何を「ギャルブーム」と呼ぶかによって終わりが変わるからだ。

2000~2001年頃:ガングロ・ヤマンバを中心とした90年代型ギャルブームが収束

2004~2006年頃:マスコミが「新しい若者文化」として注目する対象に、秋葉原・オタク文化が急浮上

2008~2009年:SHIBUYA109はむしろ絶好調。ギャル系ファッション市場そのものは健在

2014年:『egg』休刊。巨大な「ギャル市場」にひとつの大きな区切り

なので、90年代ギャルブームの歴史として見るなら、2000~2001年頃がひとつの終着点

一方、「ギャル文化の終焉」とするなら2014年でもまだ言い切れない。

ギャルはその後も残り続け、形を変えながら現在まで続いているからだ。

『egg』は休刊したが、ギャル文化はまた復活した

1995年に始まった『egg』は2014年に休刊。

この頃には複数のギャル系雑誌が姿を消しており、90年代から続いた大規模なギャル市場が縮小していたことは確かだった。

ところが『egg』は2018年にWeb版として復活し、2019年には紙の雑誌も復刊。

さらに近年はY2Kや平成レトロの流行によって、ルーズソックス、厚底、細眉など90年代~2000年代風の要素が再び若い世代から注目されている。

ギャルは何度も「終わった」と言われながら、そのたびに少し違う形で戻ってきた。

90年代ギャルブームは「若者が街から流行を作った時代」だった

改めて90年代ギャルを振り返ると、単に茶髪やルーズソックスが流行しただけではない。

ポケベル、公衆電話、プリクラ、カラオケ、ファッション誌、SHIBUYA109、CD、パラパラ。

当時の女子高生を取り巻いていたものがつながり、ひとつの巨大な文化を作っていた。

しかも、その中心にいたのは有名人だけではない。

渋谷にいた普通の女子高生やショップ店員が雑誌に載り、テレビに映り、その格好を全国の女の子が真似する。

そして2000年代半ばになると、マスコミが「新しい若者」を探しに向かった街のひとつが秋葉原だった。

渋谷のギャルと秋葉原のオタク。

見た目も文化もまるで違うが、どちらも街の中から育ち、マスコミに発見され、全国的な若者文化の象徴になったという点ではどこか似ている。

90年代ギャルブームの「終わり」を追っていくと、単にファッションが廃れたという話ではなく、平成の途中で「世間が若者文化を見る場所そのものが変わっていった」ことまで見えてくる。

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