コンビニや書店の雑誌コーナーを見れば、女性向け、男性向け、ティーン向けと、さまざまなファッション雑誌が並んでいます。
では、そもそも日本で最初のファッション雑誌って何だったのでしょうか。
「昔からありそう」とは思うものの、いざ名前を挙げろと言われるとなかなか出てきません。
そこで今回は、レディース、メンズ、さらにおまけとしてギャル雑誌まで、日本のファッション誌の「最初」を遡ってみました。
調べてみると、単純に「この雑誌が日本初!」とは言い切れない、なかなか面白い歴史がありました。
まず結論、日本最古のファッション雑誌は何?

先にざっくりまとめると、こんな感じです。
| ジャンル | 雑誌 | 登場年 | ポイント |
|---|---|---|---|
| レディース | 装苑 | 1936年 | 日本のファッション誌の源流として広く扱われる |
| 服装専門誌 | 服装文化 | 1934年 | 『装苑』より2年前に文化学園が出版 |
| メンズ | 男の服飾読本 | 1954年 | 現在の『MEN’S CLUB』につながる日本初の男性服飾誌 |
| ギャル系の先駆け | GALS LIFE | 1978年 | 現在とは意味の違う「ギャル」を冠したティーン誌 |
一般的な「日本最古のファッション誌」という意味なら、1936年創刊の『装苑』がもっとも分かりやすい答え。
ただし、「服装を専門に扱った雑誌」という範囲まで広げると、その2年前の1934年に『服装文化』が存在します。

いきなり「日本初」が一つに決まらない。雑誌の歴史、思ったよりややこしい。
ここから、それぞれ詳しく見ていきます。
レディース編|ファッション誌の源流は1936年創刊の『装苑』


女性向けから見ていきましょう。
日本のファッション雑誌の始まりとして、現在もっともよく名前が挙がるのが『装苑(そうえん)』です。
文化服装学院を運営する文化学園の歴史によると、『装苑』が創刊されたのは1936年(昭和11年)。
当時は今のように、お店で売られている服をモデルが着て「このコーデがおすすめ!」と紹介する時代ではありません。
そもそも日本で洋服が本格的に一般へ広がっていく途中。『装苑』も現在のファッション誌というより、洋服の作り方や服装について学ぶ「服装研究雑誌」という性格の強い雑誌でした。
服のデザインだけでなく、西洋服装史、海外の最新モード、洋裁技術なども掲載。いわば「見るファッション誌」と「学ぶ洋裁本」が一緒になったような存在です。
『装苑』が創刊された1936年は、文化裁縫女学校が「文化服装学院」へ改称した年でもあります。
しかも『装苑』はその後も続き、日本の服飾文化を長年記録してきました。
でも実は『装苑』より古い服装専門誌があった
ここで話が少しややこしくなります。
文化学園の公式沿革を見ると、『装苑』創刊より2年前の1934年(昭和9年)に服装専門雑誌『服装文化』を出版したと記録されています。
つまり、
「日本のファッション誌の源流は?」なら『装苑』。
「もっと古い服装専門雑誌は?」まで広げると1934年の『服装文化』も存在する。
というのが、かなり正確な答えになりそうです。
そもそも「ファッション雑誌」という言葉自体、時代によって意味が違います。
明治・大正期には『婦人画報』などの女性誌もすでに存在していましたが、生活、教養、家庭など幅広いテーマを扱う「婦人雑誌」と、服装を中心に扱う「ファッション誌」は少し別物。
現在のような「流行している服を見て、欲しい商品を選ぶ」というファッション誌へ一直線につながっているわけではありません。
ファッション誌研究でも、『装苑』を始まりとする歴史の整理はよく見られる一方、その境界はそれほど単純ではないと指摘されています。
だからこそ「日本最古は何?」と調べると、答えが微妙に違ってくるわけです。
メンズ編|日本初の男性服飾誌は1954年の『男の服飾読本』


続いてメンズ。
こちらはかなりハッキリしています。
1954年(昭和29年)、『婦人画報』の増刊として発行された『男の服飾読本』が、日本初の男性服飾誌とされています。
そしてこの雑誌こそ、現在の『MEN’S CLUB(メンズクラブ)』につながる雑誌です。
国立国会図書館の書誌情報でも、1954年6月の第1集は『男の服飾読本』、その後は『男の服飾』というタイトルで刊行されたことが確認できます。
現在の出版社であるハースト婦人画報社も、1954年に『婦人画報』増刊として日本初の男性服飾誌が発行されたことを沿革に記載しています。
創刊号ではビジネスウェアやジャケット、スポーツシャツだけでなく、欧米の流行やアメリカの大学生の服装まで紹介されていました。
今ならネットを開けば海外ファッションも一瞬で見られますが、1950年代の日本では雑誌そのものが海外の着こなしを知る貴重な窓口。
その後『MEN’S CLUB』は、アイビー、プレッピー、アメリカントラッドなどを日本へ広める大きな役割を果たしていきます。



男性ファッション誌の元祖が、女性誌『婦人画報』の増刊から始まったというのも面白い。
1954年から数えると、すでに70年以上。日本の男性ファッション誌史そのものと言ってもよさそうな長寿雑誌です。
おまけ|日本初の「ギャル雑誌」は何だった?


そして、ここからはおまけ。
「日本最初のギャル雑誌は?」と聞かれると、『egg』や『Popteen』を思い浮かべる人が多いかもしれません。
ところが、それよりずっと前に『GALS LIFE(ギャルズライフ)』という雑誌がありました。
主婦の友社から1978年(昭和53年)9月に創刊。東京都立図書館にも創刊号からの記録が残っています。
『Popteen』の創刊は1980年なので、それより約2年早い雑誌です。
ただし、ここには大事な注意点があります。
1978年当時の「ギャル」は、1990年代以降の茶髪・日焼け・派手なメイクで知られる「ギャル」とは意味が違い、もっと広く「若い女の子」程度の言葉として使われていました。
つまり、『GALS LIFE』をそのまま「平成ギャル雑誌の元祖」と呼ぶのは少し違います。
実際、1970年代末の『GALS LIFE』は、恋愛、ファッション、芸能、街の流行などを扱うティーン向け雑誌。
現在イメージする「ギャル文化」が誌面を埋め尽くす雑誌とは、まだかなり雰囲気が違いました。
では『egg』が最初なのか?というと、それも少し違う
平成のギャル雑誌といえば、やはり『egg』が圧倒的に有名。
『egg』は1995年に創刊され、渋谷の女子高生や街にいる女の子たちを誌面に登場させながら、コギャル、アムラー、ガングロなどの文化と深く結び付いていきました。
ただ、意外なことに創刊当初の『egg』は男性読者を想定した雑誌だったと、創刊時から撮影に関わったカメラマンが後に語っています。
読者アンケートを送ってくる女性が増え、途中から女子高生を前面に出す方向へ変化していったのだとか。
さらに『Popteen』は1980年創刊、『Cawaii!』も1995年に登場し、1990年代後半になると、このあたりの雑誌が「ギャル誌」として強い存在感を持つようになります。
なのでギャル雑誌については、
「ギャル」という名前を持つティーン誌の先駆けなら1978年の『GALS LIFE』。
現在イメージする平成ギャル文化の代表誌なら1990年代の『egg』『Popteen』『Cawaii!』など。
と分けて考えるのが自然です。
ちなみに『GALS LIFE』創刊から『egg』創刊までは17年。ひとことで「ギャル雑誌」と言っても、その間に「ギャル」という言葉そのものの意味が大きく変わっているのが分かります。
日本のファッション雑誌は「服を作る本」から始まった
こうして並べてみると、今のファッション雑誌とはスタート地点がかなり違います。
女性向けでは、まだ洋服が完全には一般化していなかった時代に、洋裁や服装そのものを研究する雑誌が誕生。
男性向けでは戦後になって、欧米のファッションや着こなしを伝える雑誌が登場しました。
そこから1970~80年代には若者向けのファッション誌やティーン誌が増え、1990年代には街にいる普通の若者自身が流行を作り、それを雑誌が拾い上げる時代へ。
日本のファッション誌は、最初から「流行の服を買うためのカタログ」だったわけではなく、「服を作る・学ぶ」メディアから発展してきたわけです。
約90年の間に、洋裁の教科書に近かった雑誌が、モデルや読者のファッションを追いかけるメディアへ変化していったと考えると、雑誌の歴史もなかなか奥深いものがあります。


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